へっぽこ日記

つれづれ日記

#PC回想録 インターネットの初期の頃と自分の体験(1990年代)

#PC回想録 というタグで昔話が盛り上がっており、それを見ながら自分もいろいろ思い出し、こみ上げてくるものがあったので、自分の経験を文章にまとめてみました。
当時を懐かしんだり、こんなことがあったのか!と思っていただければ。。

1980年代

この頃はデジタルのものはほとんどなく、アナログばかりだった。
電話もテレビもレコードも。ネットはそもそも存在しない。
デジタルと言えば、ゲーム機とマイコンワープロくらいか。
ファミコンは持っていたが、マイコンは持っていない。
ワープロは父親が持っていて、それを借りて何か文章を残していた。保存媒体はフロッピー。
電気屋の新聞広告にMSXパソコンが載ってて気になった記憶はある。
「ひ~とびと~の、ヒットビット~」と流れてたHiTBiTというMSXパソコンのCMも覚えている。
ただそれだけで買ってもらうことはなかった。
父親に誘われてアマチュア無線の免許を持ち、中高生の間やっていたので、
電気通信技術系への興味・知識は多いにあった。
デジタル化の始まりと言えば、レコードのデジタル化としてCDが出てきたのが1982年。
中学の音楽の授業で初めてCDで音楽を聴いた。「これがCDと言うものだよ」と。

1990年 大学入学

親元を離れ下宿したが、電話はない。
固定電話は引かず、携帯電話はまだ存在しない。
そもそも固定電話引くのに加入権が72,000円もするのに、貧乏学生にそんな選択肢はない。
友達との連絡はどうするの?学校に会いに行くしかないね。
サークルの部室には連絡用のノートが置いてあり、みんなが連絡事項などを書いていた。

友達の下宿に行くとPC-98(またはEpsonの互換機)を持ってるやつがいた。
「ふーん」と思いながら、買うことはなかった。あまり興味はわかなかった。


大学は電気系の学科に入ったので、プログラミングの演習がある。
FORTRANPascalをまず学ぶ。2年生か3年生の時、情報演習室にはIBMのコンピューターがあった。
黒地に緑色の文字だけが表示されるディスプレイでプログラムを書く。
プリンタはドットプリンタ。なんとかこなす。

学期が変わると大学の情報システムが一掃されていて、NeXTComputerの黒い筐体がずらりとならんでいた。
初めて見るGUI。マウスでファイルを動かすとメールに添付できるという、なんと直感的な操作。
ファイルを消す時はゴミ箱に持って行くと良いらしい。
演習で作ったファイルはメールに添付して提出。なんと先進的な。

プログラミングの演習はCになっていた。
相変わらずよくわからないので、友達に教えてもらったりした。
コピペというものがいとも簡単にできるので、だいぶ楽になった。コピペした上で自分なりに考えるのだよ。

 

噂ではNeXTの本社よりもたくさんのNeXTのコンピューターが大学に並んでいると聞いた。
導入のお礼なのか、いつの日かスティーブ・ジョブズが大学に講演にやってきた。
どこかの教室を会場にして講演した。学生はその場には入れなかったが、別の教室をサテライト会場として用意しそこで聞いた。
当然英語で滔々としゃべるので内容はあまりわからなかった。最後の方はNeXTの宣伝のように聞こえた。

1993年 大学4年生で研究室配属

研究室は通信系の研究室。みんなシミュレーションをやって研究している。
研究室にはワークステーションが2台ほどとみんなMacを持っている。
当時はWindows3.1でネットワークの機能がまだ弱いので、ネットワークにつなぐならMacということになっていた。
Macは初めてみた。当時あったのはMacintosh Classicという機種で、9インチブラウン管の一体型。でも白黒である。
ちょうどカラー版のColor Classicが発売されたところで、これが導入されたりもした。
一部の人はWindows3.1も使っていた。

 

シミュレーションはワークステーションで実行する。みんな自分のデスクのMacなどからtelnetワークステーションにログインし、シミュレーションの計算を動かす。
プログラムは全部テキストでCで書いていっていた。数値計算だから難しい計算式をパラメータ変えて計算させているだけ。

そのうち、自分のMacがあった方が研究しやすいということになり、初めてのパソコンを買う。
それがLC475という機種だった。デスクトップタイプでブラウン管のモニタなど一式ついて、20万くらいはしたと思う。
学生には大金である。

 

ある日、研究室で同期がワークステーションで何かのソフトを動かしていた。
それはMosaicというもので、何か文章が表示されている。ほとんど英語だったように記憶している。
「なにこれ?」と聞いたら「この中のハイパーリンクというものをクリックするとページが切り替わるのだけど、これは別のコンピューターなんだって。こうやって簡単に他のコンピューターにつながっていくんだって。」
調べてみるとWorldWideWebが解放されたのがこの1993年の4月だそう。

 

今までネットワークはつながっていても大学内だけだったが、このMosaicというブラウザでは簡単にGUIで大学の外にもつながっていた。

このページを作るのはhtmlという言語を使うとのことだった。文法は簡単だしコンパイルもいらないので、プログラミングが不得意の自分でも気軽に書ける感じだった。

初期のwebページは大学とか研究所の関係とかがほとんど。その中で「うどんのやまだ屋」か何かがwebページを作ったということで話題になっていた。

1994年 大学院

研究室のコンピューターが増えたりするとネットワークの設定をするが、IPアドレスをそのまま打ち込む。

DHCPのように自動的にIPアドレスを振ってくれるものとか、IPアドレスの変換とか、proxyとか最初はそんなものはなかった。
hostsというファイルに他の繋ぐ先のコンピューターのIPアドレスも書いておくとつながるという仕組み。

インターネットがつながると、学校・研究室のwebアドレスが決まり、自分たちがユーザーとして登録される。
自分たちのアドレスがあれば、htmlファイルを作るとブラウザで見れるようになる。

そのうち日々の適当な出来事を公開日記として書くことが流行ってきた。
自分も書いたり、興味を持った人の日記を読んだりとか。そのうちメールでやりとりとかもしていた。

1996年 会社入社

大学の終わりぐらいにはパソコン通信を始めていた。とはいえ、パソコンは大学にしかなく、大学はネットワークにつながっていたので、ネットワーク越しにアクセスポイントにログインして使っていた。
会社に入って最初の3ヶ月くらいは寮に入るというので、パソコン通信ができなくなる。
どうしよ?
ということでモバイルをすることにした。

当時流行ってたのはHPの200LXという小型のDOSパソコン。折りたたみ式で白黒のモニタとボタンのようなキーボードがついている。
アプリもメール、電話帳、スケジュール帳、データベースなどがあって先進的だった。

これにPCMCIAカードのモデムとPHSの端末を買った。
PHSは1995年にサービスが始まったばかり。携帯電話は高すぎて、PHSはなんとか若者でも使える値段だった。

インターネット(web)はしばらくお休み。パソコン通信をやって日々過ごしていた。

会社の研修も終わり寮に落ち着くと、プロバイダの契約をした。
この頃には一般の人でもインターネットを使えるようにプロバイダの会社がたくさんできていた。
固定電話回線を契約し、モデムを買って、インターネットの世界に戻ってきた。


Yahoo!というディレクトリサービスがあった。いろんなwebページのリンク集でカテゴリにきれいに分けたもの。他の会社・団体などもディレクトリサービスを作っていた。

このころはまだ全文検索という技術は実用化されておらず、研究対象だった。いくつかの会社などが全文検索をしていた。
AltaVistaがちょっと有名になった感じ。

その後、googleの登場(1998年)は衝撃的だった。webページはあるのだが、何も書かれておらず検索窓しか置いてない。
他のサイトはたくさんのリンクを集めてにぎやかなのだが。
「本当にこんなものでページが見つかるの??」と思いながら使ってみた。
その後は多くの人がgoogleを使うようになった。


他のwebサービスで衝撃的だったものと言えば、GoogleMap(2005年に登場)。何が衝撃か?
それまでのwebと言えば、リンクになっているところを次々とクリックすることでページをたどっていくものだった。
それがGoogleMapはブラウザ上に地図が表示されていて、マウスクリックで地図をつかんだ状態で動かすと地図がスムーズに動くのである。どうやっているのこれ??と思ったものだった。聞くところによるとAjaxという技術を使っていると聞いた。


以上が、パソコンとネットの使い始めの思い出。